Sunday, December 03, 2006

タイトル

さびしさ2.0
タイトルについて、「さびしさ」という言葉がwetな印象を与える、という意見あり。そうかな・・・。何か新しいタイトルをちと考えてみるか。

Tuesday, November 28, 2006

さびしさ2.0

デリカシー
タイトルを「さびしさ2.0(さび研)」に変更しました。
ま、実際のところ、「さびしさ研究所」は盗られてしまったわけだし。
さびしがっているのが、さびしさ1.0
さびしさを何か研究するのが、2.0、です。
ちなみに、それにたいする対処法を構築するのが、3.0、
ということで。

Thursday, November 23, 2006

デリカシー

「さびしさ研究所」とグーグルで検索すると、ここではなく、いくつかのものがあがってきます。
そのうちのひとつは、クラムボンとかいうグループの人がやっている何かの番組(おそらくラジオ)に関するものだと思う。
それに関して、どうしようかと思ったけれども、やっぱり書くことにする。
いつか、誰か、関係者がコレを見つけるのもまたいいでしょう。

「さびしさ研究所」は今から10年くらい前に私が考えたアイデアです。
私はそのアイデアをまとめた作文、企画書というのはほど遠い作文を、ある人物に見せた。
その人はそのアイデアをとても気に入って、何かできないかという話になった。仕事に関わる人物だった。
コレ以前にも、友人にはそのアイデアを話していた。何かをやりたいと。
そのときにすでにそれはウェブサイトとして何となく考えていただけども、
今みたいに簡易に作れるブログもなくて、サイトを簡単に作れるイメージもなかった。
ま、それはともかく。
そんなこなんで少し時間がたち、個人的な事情で仕事を休んでいる間に、
「さび研」はちょっと動き出した。それはラジオの番組になった。深夜枠の。
私は仕事を離れていたこともあり、自分が何かを実際にすることもできないので、
その名前を使うことなどは、まぁいいですよ、といった適当な返事をした。
やめれば良かったよ!! 後になって思えばね。使わないでくれ、と、言えばよかった。
その番組は、私が考えていた「さび研」のイメージとはまったく違うものになった。
ありがちな深夜トーク。いやし系。「さびしいのって何かいいよね」的な。うー。
事情をあまり知らない知人は、その番組が大キライだと言った。
私は返答に困った。自分は関知していないのだ、と説明した。

まさか、それがまだ生き残っていたとはね。
それだけで終わってくれることを私は願ったのだけど。

その後、そんな動きとはまったく別に、やはり私は友人と「さびしさ研究所」のサイトを作った。それは最初にこのアイデアを温めていたときに話していた友人とは別の友人だった。ただし、ほとんど機能することなく、それは頓挫してしまった。
なんというか、「さび研」のツボを理解してもらうのは、けっこう難しい。
おそらくセンチメンタルなものはあまりここにはないのだよ。いやし系でもなければ、「さびしいのって、何かいいよね!」的なアートな気分でもないのだ。
いってみれば、何のためにさびしいのか、さびしさに何か意味はあるのか、いったいすべては何なのさ、的な、
なぜに世界には色はあるのか、みたいな、そんな部分なんですよ。

ひとりなのはさびしい。でも、ひとりじゃないのもさびしい。
ひとりじゃないくせに、ひとりなのがさびしい、というかな。
ひとりなくせに、ひとりじゃないのがさびしい、とでもいうかな。
孤独とか、退屈とか、そんなこととの関係で考えていってもいい。

ともかく、そんなわけです。
いつか誰か気づいてもいいよ。私は言える。「さび研」を考えたのは私です、と。
まぁあなたの考える「さび研」もいいでしょう。
でもやっぱり、「さび研」は宇宙を目指しますから。
つまり、生き物がすべていなくなったら、さびしさは無くなるに違いない。特に、感傷的なさびしさはね。
でも、宇宙はさびしくて、そのさびしさを外から定義するモノがいないというさびしさを私たちはイメージすることができる。
それを愛することさえできる。
それが元祖「さび研」のツボです。

そういえば、ある記述に「怒りは純粋な感情ではないそうです」というのがあった。それは心の底にある別の感情を隠すための感情なんだ、と。なるほど。
きっと隠そうとしているのは、「さびしさ」だと私は思うよ。

"孤独について"

話は飛びます。ランダムに行きます。中島義道という東大の先生の本です。
私はこの本を読んだときに、いたく感激して、つまり「この人はわかっている」と(何様?)思いまして、思わず手紙を出そうと思ったくらいです。
でもこの人の本を読んでいると、「私もそう思います」的な手紙も嫌うという感じの人なので、やめときました。
徹底的な人間嫌い。でもそれだけの人ならこんな本は出さないはずだし、何かを伝えたいんだろう、と考えてみても、やはりかなりヒネくれた感じがして、露悪的というか何というか。執念深い感じで、人の悪口もとうとうと書いています。そういうことすることで、人に嫌われてもいい、というスタンスなのかな。同時にその裏には、プライドが傷ついてしまったことを根にもっているという、かなり人間的なものがあるわけで、普通の人はそんなカッコ悪い自分をさらないものだけど、さらしてしまうはの単なる性格か、あるいは「孤独」のなせる技なのか、といったところ。

でも、基本のところは何かとてもわかる気がしました。偽善的なものはキライなんだろうな、と。
偽善的なもので何とかなるほど、孤独、寂しさは甘いものじゃないんだ、と。
そのあたりは結構好きです。
それに、あたかも非人間的な人物のようでいて、ちゃんと結婚をし、妻を愛し、普通に社会のなかで生活をしているわけですから。で、そのあり方が逆に究極的な「孤独」を描いていますよね。究極の孤独を感じても、人は破綻することもなく生きていくんだ、ということ。
この救いの無さこそが「孤独」そのもの。それを知っているか、気づかないでいるかによって、人のデリカシーは変わってくるんだ。
私が「さび研」を考えた根本には、そんなデリカシーの問題が実は関わってます。

Friday, November 17, 2006

Blood Music サイバーパンク

ふたたびblood musicの話。
グレッグ・ベアという人の本でした。探したけど、本棚に見つからない・・・・。きっとどこかにあるのでしょう。
この小説も、サイバー・パンクに分類されていたように思います。「サイバー・パンク」というのは、80年代に一時盛り上がったSFのジャンルです。ウィリアム・ギブソンという人の「ニュー・ロマンサー」とかが有名でした。ちょうどAI(人工知能)とか、バーチャルリアリティとか、そのあたりがいろいろと出て来た頃だったんじゃないかと記憶しています。「サイバー」という言葉、う〜ん、懐かしい。これは確か「cybernetics」という情報理論の分野から来たものです。ノーバート・ウィーナーという人がサイバネティクスの第一人者、というか生みの親。ブライアン・イーノもサイバネティクス理論に基づいて、環境音楽を考えていた、とされる。というか、本人がサイバネティクスへの関心を語っていたものです。・・・ああ、また話が支離滅裂に。

サイバーパンクにについては、 wikipediaに素晴らしい情報がありました。wikiやっぱりサイコー。さび研もwikiにすべきだったか。
でもけっこう主観的に行きたいので、ちょっと遠慮しちゃいました。オレ。

Monday, November 13, 2006

Blood Music 免疫の話

しばらく免疫について考えてみたいと思ってます。
というのは、かつて「さびしさ」についてアレコレ考えたりなどしていたとき、結局のところそれは生物学上ひとつの生き物として「閉じている」ってことに関係あるような気がしてきたわけですよ。ホメオスタシスとでもいうんですか。
で、さらに、私が私であること、アナタがアナタであることを守っているのが、免疫系、なんですよね。
自分以外のものを「他者」とみなして、排除するシステム。コレ。コレが崩れると、人は死にますな。人でなくても、ですけど。

でも、そんな免疫に守られてしまっているがゆえに、究極的に人は(というか、個体をもって生きる生き物はすべて)「孤独」なのじゃ。
そんな風に思いました。
故に、免疫。その他、キーワードは、植物、サイバーパンク(なつかし〜)、ホメオスタシス、孤独。
このあたり、ちょっとケンキューしたいです。う〜ん、誰かしてくで〜。

Sunday, November 12, 2006

アミグダラ

脳幹に近い部位の名前。怖い記憶をしまっておく脳の一部。遺伝により受け継がれるという説もある? つまり、私たちの感覚は、経験によって生まれるのではなくて、肉体的に受け継がれている、かも。
memo
「アニルの亡霊」 マイケル・オンダーチェ

さび研は「宇宙」をめざす

さびしさ研究所、略して「さび研」とは、その名の通り、この宇宙にあまねく存在する「さびしさ」を研究するところです。恋人がいないさびしさ、とか、誰もいないさびしさ、なども、もちろんそこには含まれますが、まぁ何といいますか、もっと壮大ものをイメージしています。言ってみれば、「宇宙のさびしさ」かな。
「その昔、宇宙はさびしかった」(いや、たぶん今も)といった詩人の言葉に匹敵するくらいのスケールのデカさを思っていただいてもいっこうに構いません。いや、むしろ、おすすめ、したい。無駄に壮大。一応。
とはいえ、さびしい生き物、私たちはこうして日々を生きているわけですから、基本的に、日常の、ある意味普遍性のある「さびしさ」を拾っていければいいかと思っています。

さて、どうやって拾おうかな・・・・
これについては、実はまだあまりアイデアが決まっていなくて、とりあえず適当に、否、手探りで、適当に(やっぱり)やっていこうかと思っています。
一言「さびしさ」といっても、それに対する感じ方は人それぞれ。かなり主観的、です。でもまぁ、できるだけ自分から切り離して、客観的に観察してみましょう。まちがっても「さびしい人が癒しを求めて集う場」とか、「さびしさを解消する」とか、そういうことは目的にしてまっせん。すまぬ。結果的に、さびしさの解消になるようなものができるといいな、くらいには思っていますけど。
う〜ん、あと、「人は誰もさびしいんだ」とか、そういうこと言うのはナンセンスだと考えます。そんなこといわれても、困る。そんなこといわれても、何の足しにもならん。キミがさびしくても、私のさびしさが解消されるわけでもなし。誰もがさびしいなら手を打て! 

さて、「さびしさ」の捉え方はいろいろあると思います。以下、すべてデータベース化できるといいと思ってます。どうやって? はまだ考えてません。とりあえず、

さびしさを抽出する 〜 「さびしさ」の表現
●感じた「さびしさ」を募ります。程度・症状・時間・場所・状況・理由・対処法・その他いろいろで5W1Hで。
●「さびしい」と感じる、出来事、シーン、モノ、作品(音楽・映像・小説・サイト)などを募ります。
●その他 ※これから考えます

「さびしい」とは何か   さまざまなジャンルからのアプローチを募ります。
●哲学、心理学、文学、なんでもいいッス 「さびしさ」をテーマにしたもの。「さびしさ」に言及したもの、表現したものなど。

「さびしさ」のメカニズム・理由・原因 なんでさびしいか
●精神医学、脳科学 など  「さびしさ」の実態に迫る情報を募ります。

で、どうする? 「さびしさ」の対処法
●私はコレで「さびしさ」に××した みたいな。解消法、体験談を募ります。

こんなところでしょうか? 
最後に、なんでそんなに「さびしさ」にこだわるかというと、私はとてもさびしかったからです。意味もなく。何をしていても、さびしかった。このさびしさは何だろうか、と、どこから来るのだろうか、と考えていたわけです。
でも、では「さびしい」のは悪か?というと、そんなことは決してないわけで。
「いいじゃん? さびしくても」という生き物としての逞しさが、構想から10年以上「さび研」をほったらかしにしてしまった背景に実はあったりします(ど〜ん)

Saturday, November 11, 2006

さびしさ研究所

始めます。あー、時間がかかった。